前回の記事はこちら→うつ状態だった新卒入社時代を振り返りvol.01
vol01では一年目から三年目までの流れをさらっと書いてみました。
今回は三年目のところにフォーカスして書いていきます。
このシリーズは決して「自分の経験だけ」で投稿を終わらせず、最後の投稿(volいくつまでいくか僕も未計画ですが)には
「この経験上から、うつ状態にならないためにはどうするか。どんな工夫ができるか。実際に僕がやってきたことは何か?当時と今で変化してきたことは?」など
”うつ状態になる環境は危険。じゃあどうするか”までをやって行きます。
説明が長くなりましたが、それでは気を取り直して三年目の内容に移って行きましょう!!
以下は、思い出した分なので曖昧な部分もありますが三年目の4月〜夏前ぐらいかな?
一、二年目からの状況変化
三年目になると、とある先輩が僕と同じ部署から県外へ異動になりました。
この状況が僕のうつ状態の道に拍車をかけます。
異動した先輩も実は、僕ほどではないにしてもよく怒られ、厳しい言葉を浴びせられていました。
正直なところ、その先輩が目立っていたことによって比較対象としてまだ僕の方がマシ(比較すること自体嫌なことですが)だと思われていたため、「怒られる、不安だ」ということが緩和されていました。
(先輩自身が僕を下に見ていたからか、一度だけ100%先輩のミスなのに僕になすりつけた上に上司に報告していたので僕との関係は悪かったです。のちにバレて強く怒られてましたが。プライドが高い人で、、、と、この話はこれぐらいにして。)
「できない」「遅い」「コミュニケーション下手」「覚えが悪い」などなどの嫌な称号を一人で背負いこむ三年目といったイメージです。僕の中では。
上司から波及していった別の社員から僕への対応
基本、人って無意識に周囲に流されやすいような気がしています。同調する文化が強いですし。
その文化を僕は目の当たりにします。
上司から怒られるとき、嫌な称号をベースにした指導を受けている時、他の社員さんもいる中での出来事です。
そう、同チームに限らず別部署の人たちも僕と上司のやりとりが聞こえる状況。
これを三年も続ければみんな当たり前の思考が出来上がってきます「あ、〇〇(僕の本名)は仕事ができないやつなんだな」と。
別チームの少し熱い先輩、別チームのリーダー、いろんな人が僕と接する時のデフォルトに「仕事ができないやつ」前提での対応。さらに、上司が出張でいない時に少しでもリラックスした雰囲気を僕が出すと「あら!そんなリラックスしてる場合じゃないよ。そんなんで大丈夫なの??」
浅い眠りが多くなってきた時期は、ついうたた寝をしてしまうこともあったし、我慢できずトイレにこもって5分タイマーを測って仮眠(?)をとっていました。
トイレが長いこと、パソコンを目の前にぼーっとすること、ここら辺も監視のような雰囲気になってました。
あとは喫煙所での情報共有がされていたようでした。(僕は吸わないので、未然に防ぐことができず、、、)
人事に相談したことが巡り巡って返ってきた、、、
人事との面談が半期に一回ぐらい行われていました。僕も例に漏れず。
その時、正直に「上司のあたりが強いくて怖い。少しメンタルがやられる時がある」と相談。
気づいたら数日後、上司から
頼むからあんまり怖いとかいうなよぉ、、、俺が悪いみたいやんか。できてないことを言ってるだけ(少し僕の記憶曖昧)
と。
衝撃と苛立ち。不安。
どうやら
僕→人事→部長→上司→僕
の順番で相談内容が返ってきていたようでした。
(人事を強く責めるつもりはないですが、誰までには言っていいかみたいな確認はしてほしかった)
信頼して相談をしたのに
「〇〇からの相談で『〜〜〜〜』があったようだけど、、、」というのを
上司の耳にまで入れたこの流れは状況をさらに悪化させました。
「誰かに相談しても、ストレスを吐き出すための場所もここにはないかも。言ったらその分だけ情報が上司に言ってしまう、、、」
「別の人に相談しても『もう三年目なんやからそろそろ成長しようや』と言われるだけだ」
社内の人に自分のことを相談する、この手段が夏前の時点で消滅しました。
さらに夏以降、追い込まれていくことになります。
それでもなぜか自分を責め、上司について行こうとする
新卒で入って以来、同じ上司の下で数々の仕事を任されてはミスを繰り返し、「僕の能力が足りないんだ」「もっと勉強しないと」「自己啓発本も読んで」「上司の言ってることは間違っていない」「僕は覚えが悪い。しかも忘れっぽい」
忘れまいと必死にメモをしたものは、パソコン周辺の大量の付箋、メモ帳の見直し、帰宅後も資料の見直しでなんとかしようとやっていました。
もっと打たれ強くなって成長して上司に認めてもらわなきゃ。
心の余裕がなくなって、、、、